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【心理学】コミュニケーションにおける”正しさ”に人々はプレッシャーを感じている

心理学

 コミュニケーションの中で様々な”正しさ”が求められる時代、例えば、鬱であるという人に”頑張れ”は禁句、いじめを受けているという人に”立ち向かえ”は禁句、あるいは政治的妥当性(ポリコレ)、さらにはそもそもそれをお題とするのは望ましくないとされる題材(政治・宗教等)、会話のマナーなど、今の時代のコミュニケーションには、単に真摯に相手と向き合う以上のことが求められる。

 基本的にそれらは善良な行為ではある。間違ったアドバイスをしない、誰かを傷つけないなど、善良な心があればこそ、”正しさ”を求めてしまう姿勢が生じるわけだが、それが過度になりすぎるときには、コミュニケーションを、ひいては人間の成長を阻害しているかもしれない、というディスカッション形式でエピソードを紹介する記事があったので紹介したい。

人の話を聞きましょう

「今のSNS時代は、まるで誰もがリアリティ番組の出演者であるかのような気分にさせられる。私達の言葉は常に監視され、その言葉に間違いがあれば“キャンセル”されてしまいかねない。
 そこで人々は、“正しい”ことを言い続けることに没頭する。社会的プレッシャーに対する恐れの中で、教科書通りの演技をこなそうとする。

 職場のとある同僚は、彼女の友人が自らの容姿に対して否定的なことを言うたびに、“自分に対する否定的な考え“や”容姿への執着“をしても無意味であると返答してきたという。
『それがSNSで推奨される醜形恐怖症に対する“正しい”応答であるにもかかわらず、それは友人を助けることにならないある時に気づきました。私は“正しい”ことを言おうとするあまり、友人の話に耳を傾けなくなっていました』と、同僚は語る。

 醜形恐怖症や摂食障害などのデリケートな問題については、そこに至った個人の経験は大きく異なる。そこでは、教科書通りの“正しさ”では、すべての人を助けることはできない。重要なことは、相手の話に耳を傾け相手の経験を理解することであり、それは人と人とのコミュニケーションに欠かせないものであるが、正しいことは言わなければないないというプレッシャーがそれを妨害しているかもしれない。

 “正しさ”のあり方は状況によっても異なる。SNS上においては、“政治的正しさ”に気をかけ、子供達は自宅で“理想的な子供”であろうとするプレッシャーにさらされている。性別に基づいたプレッシャーもあり、『女性らしい言葉遣いをしなければいけません。そうしなければ、反抗的、おかしい、感情的などのレッテルを貼られます』と、ビドゥシさん(26)は語る。

 多数派の意見に従わなければいけないというプレッシャーもあり、これが自由な議論やコミュニケーションの精神を傷つけていることがある。
 心理療法士のマンヴィ・シャルマ氏は、『“正しくない“ことを言えば取り返しがつきません。”正しさ“のプレッシャーの存在により、もはや真偽を確かめることはなくなり、議論をする意味がほとんどなくなります。それでは学ぶ余地も成長する機会もありません』と、語る。

 しかし一方では、自由な議論という概念は、支配的な集団によって弱者を攻撃する口実に使われることが多いのも事実である。友人との自由な議論と、公の場で誰かを傷つける口実としての自由な議論はたしかに異なるものだ。後者の場面では、誰かを傷つけることは許されないというプレッシャーが、互いに相手を尊重してする意見交換を促進しているかもしれない。

 そこでは、“議論で相手を打ち負かしたい“や、”自らの持つ偏見を正当化したい“という願望を抑えつつ、人々が”正直あること”が議論の推進力となるべきだろう。」

著者抜粋翻訳・引用元:こちら

以下、この記事についてのレディターの反応

名前: spressoBump
なにかバカなことを言うまで人間は学べないと思うよ。
私は自分の考えを固めるまでに、色々な視点からの意見を知ることが好きだし、自分のその時点での考えを話たりすることもある。
正しさのプレッシャーばかりをかけられたら、何が間違っているのか学ぶ機会もなくなる。


名前: IANALbutIAMAcat 9
>>spressoBump
よくわかる。私は大学で政治学を専攻して学友との難しい題材についての議論をしてきたから
学外での現実の社会問題についての話でも、色々な角度からの色々な意見を提案するし
また他の人からもそれを聞きたいと思っているが…でも私のそういう姿勢は人々の怒りを買ってしまうのが現実。
そんなに同じ意見以外受け付けないというなら、もはやそれについて何も話すことがないじゃないかってなるよ。


名前: MolePlayingRough
>>spressoBump
私の場合は自分で言っておきならが自分の考えの浅はかさに気付くことがよくあるよ。


名前: ForteanRhymes
>>spressoBump
自分の同僚はよく“失敗する自由”があるんだって主張を提言してるわ。
まぁ人間は完璧ではありえないし、それを期待さえするべきじゃないよね。


名前: rcher87
家族や友人にさえ何を言うべきか、言わぬべきかを心配しすぎている人がたくさんいるよね。


名前: luckymethod
>>rcher87
そうはいっても、その家族や友人さえあなたが間違ったことを言えば実際に烈火のように怒り出すことがあるからね。
だからその心配も理解できるよいうものさ。


名前: ForteanRhymes
この記事にある逸話にあまり説得力を感じないな。
そもそも複雑でデリケートな事柄や論争になりやすい事柄について、それについて如何なる話合いのあり方が良いのかってことは、別に今に始まったことじゃなく人類がずっと取り組んできたことじゃないかな。
たしかにSNSの存在は、より多くの人から主張を精査され永続的に保存される可能性も高まりプレッシャーが大きくなったといえるかもしれないが、根本的にはそれは全く新しいことではない。


名前: FoeDoeRoe
>>ForteanRhymes 2
そうなんだよね。この記事って、本来もっと深淵で分析的に議論するべき題材を
“ポリコレは悪い”、“SNSは悪い”と過度に単純化している。


名前: ninpho2246
自分の意見によって誰かを怒らせたというなら、説明を改めてみよう。
自分のアイディアをより良いものにするために考えを変えていくんだ。
大変だけどできないことではない。
それが、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八正道


名前: ForteanRhymes
>>ninpho2246
はは、その定義からして曖昧漠然とした哲学的基準に基づいて人生のあらゆる行動を決めていく。
そうだね、そうすればプレッシャーは和らぐね😑


名前: Ann_Amalie
>>ForteanRhymes
八正道の教えは仏教においてしっかり定義されているし、例をあげて分かりやすく学べるテキストもたくさんある。
それは、言葉、考え、行動によって他人を傷つけてはいけないというような常識的なものが多い。よりよい社会にするためのものだ。
そして私が知る限り仏教は他の宗教の教えと比べて“プレッシャー”がはるかにすくない。
悟りは本質的に個人的なものだし、それはあくまで最終目標であって、教えの基本指針は自分で自分を傷つけることをやめようというものだから。
仏教では因果応報がすべてだ。


名前: ForteanRhymes
>>Ann_Amalie
たしかに仏教はプレッシャーが一般的にすくないだろうけど、自分は道教徒でさらにプレッシャーはすくないよ。
でも自分自身仏教の修行をしたこともある身として、“○○教の教えに従い行動しなさい”というのは
人々が“正しい行動・言葉・考え”とは何かと悩んでいるほとんどの場面では役にたたないと思うよ。


名前: TFarnworthK
“話す前によく考えよう”っていう教えの理念は素晴らしいものだと思うのだけども、一方ではそれは黙れと言われているのと変わらないようにも感じる。
子供のころからそう教えられて、大人になった今でもこびりついている。
でもその結果、相手に対しても自分に対しても素直な気持ちと向き合うことができなくなってるような。


名前: crichmond77
>>TFarnworthK
この記事はそういう話ではない。
この記事が言っているのはむしろ、“考えすぎずに、まず相手の話を聞こう”


名前: TFarnworthK
>>crichmond77
なるほど、私が子供のころに受けた教育よりもそっちの方がよさそうだね。


名前: WhatWouldJesusDo
私は自分の話声が好きなんだよ。
だから録音して自分の話しを聞くんだけど、“誰だよこのバカは”って思ってしまうわ。


著者抜粋翻訳・引用元:Reddit